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[生まれてからの記憶を辿る旅...たまゆら回想録]
3歳 住んでいた高円寺のレコード屋で偶然かかっていたヴァイオリンのレコードを耳にして、『あの楽器がやりたい!』と言い出したそうです。まだ小さすぎるから4歳になったらね、と約束され我慢。今思えばこのレコードの演奏家が私を音楽家にいざなったわけですが、残念ながら知るすべもありません。曲はタルティーニ作曲「悪魔のトリル」。ちなみにこの曲は小学校3年生の時にやったのでありました。
4歳 誕生日の朝、ガバッと起きるや否や『今日からヴァイオリンやらせてくれるんだよね!』と言ったそうです。近くのヴァイオリン教室へ。優しい父のような木原龍之介先生。同時にソルフェージュと、奥様からピアノも習いはじめました。母親はピアノは楽器が高いからヴァイオリンで良かったと思ったがそれは大きな間違いだと後になって悟ったらしい。幸運な勘違いに感謝。午前中は3時間練習して、お昼頃から保育園へ重役出勤する日々。そんなことが許されていた時代にも、練習好きだった幼少の自分にも驚く今日この頃。。。
暮らしていた祖父母の家では、祖母の日本舞踊と私のヴァイオリン練習が重ならないよう午後は祖母の音だし時間(笑)となっていました。自分に割り当てられていた午前中を遊んでしまうと「あなたの時間は終わり」と言われたので、良く近くの高円寺という寺へ行き墓や境内で練習していたものです。(ものすごく優しい大大大好きな祖母でしたが、姿勢とけじめにはことのほか厳しかったなあ。。。)時々お坊さんが出てきて怒られたけれどいなくなるとちゃっかりまた弾いていた記憶があります。疲れると他人の墓石に座りこみ、好きな香りの線香をちょいと一本戴き嗅いでは安らいでいました!!!!!ヒエーばちあたりな!!!!今では高円寺も建て替えられて立派になり、外から容易に入り込める雰囲気ではなく寂しいですね。私にとって寺と墓は「お祭り」と「ヴァイオリン練習」と「心静まる線香の香り」の記憶。今は遠い。。。。
小学校にあがるまではかなり頻繁に母親の写生旅行につきあって、山や川など自然の中で好き勝手気の向くままヴァイオリンを弾いていました。今やっていることは旅も即興もその延長なのかも知れません。私と出会ってしまった楽器君には申し訳ない、ああ!繊細な楽器なのに結局ほとんどインドでもアフリカでもミャンマーでも雨期でも乾期でも大自然のなかでも一緒です。
9歳 両親が病気で長期入院してしまうことに。私だけ祖母の家に残るのは妹や生まれたばかりの弟が可哀想だという妙な正義感から、自分も1年間カソリックの施設に入ることを決心しました。ヴァイオリンもやめることに。ところがそこの施設のシスターのはからいで、前例はなかったのですが特別にピアノ、そして少し後からはヴァイオリンも習わせてもらいました!天に感謝。何とそれ以後そこの施設ではやりたい人が皆ピアノを習わせてもらえるようになったそうです。良かった良かった。この施設にいた間に子どもながらさまざまな親子関係、上下関係、宗教と宗教団体について、ヴォランティアについて、運命についてetc.etc.考えました。日に何度も、スペードの樹と勝手に呼んでいた大きな樹の上までのぼり、葉の中から空を眺めて過ごしました。
10歳 強い自分の希望を押し通し、まだ家庭の状況はととのっていませんでしたが私だけ家に戻りました。このときをきっかけに、桐朋学園音楽教室で教えていらした山田かほる先生に習いはじめました。音楽で表現することの面白さ、音楽の中にある華やかな輝きのようなものを教えてくださった大好きな先生です。音楽的にとても飢えていたところにたくさんの喜びが流れこむ日々でした。また母の知り合いのピアノの秋田先生が、毎日来てもただで教えてあげると言ってくださりました。私が大人になってから母は「飛鳥が特別にお世話になっている人ばかりであの頃は頭をあげて町を歩けなかったわよ」と笑いながら言っていましたが、そのありがたみをしみじみ実感し感謝できるようになったのはずいぶん後のことです。
(つづく)
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